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象牙のお船

先日ホームページを作成してみました。

カウンター置いてる時懐かしさでふふっとなってしまったww
FC2には拍手もあるらしく、ちょっとそわそわしてるwwキリ番とかもうけます??ww

わりとクラシックなタイプのサイトの作りだと思います。オシャンティなツールなどない。
サイト名の“象牙艦”は西条八十の名歌「かなりやの唄」からとってます。

しかしあまり良いイメージのない歌で
柳の鞭で打たれたり、死んだと思われるかなりや・・・子供のころはむごい怖いと思ってました・・・。
鳥の死体を載せた象牙の船にも怖いイメージはつきまとっていました。

でも今になって考えてみると、‘象牙のお船’は不遇な死を迎えたカナリヤを弔うものなのかなーとか考えています。
カナリヤが死ぬのは仕方のない事だったんだと。たとえそれが誰の手によるものであったとしても。誰の手によるものでもなかったとしても。
どんな形でも、‘象牙のお船’は救いの船だったんだろう、ってこころ。

カナリヤが死ぬことよりも怖かったのは、 おそらく主観は子供であり、その子供の距離の近いってことです。あまりに“死”に近い子供。
子供はあらゆるものに遠慮無く近接している。その中でも特異な「死」。
それは身体の脆さや迂闊さを指し、事実子供は大人よりはるかに死にやすい。故か、古代において子供は8歳まで神様のものとされていて、早世しやすいのはそのためだとされてきました。

「とおりゃんせ」などにも描写がありますね。御札をもらうのはそういうわけですし、通れば連れて行かれてしまうのは通るのが‘子供’だからです。


神様の船、死者を連れて行く船の伝承は世界各地にあります。インドのヴィマナなんかは有名ですね。
ヴィマナは船の伝承としては異色の、空飛ぶ船です。何個か役割ごとに種類があると言われ、死者を運ぶ船もあるということです。

また星の移り変わりを船の運行に例えた神話も多く、死者が去ること、それでも朝はくること、新たな命が生まれること、そして夜も船が運び・・・ というかんじで、人の生と死が切り離せないものであることが表現されていると思います。
地面に建っているつもりで、もしかしたら我々も船の上にいるのかもしれません。



今更なんですが、口に出してみた時、‘館’ではなく‘艦’であることにすごい違和感感じます^^;  えー・・・直さないけど

あと実は私船上も海上も苦手なんですけど・・・はたして“象牙艦”でやっていけるのかーーー!?
はて
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