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あなたの「魔法」の使い方は?ってオチ

 「あなたの魔法はどこから?」 >[Togetterまとめ]
一月ほど前、こういった話題が起きた。

そうあらためて言われるとなかなか・・・うーーん


どう書いたものか、実はけっこう長いこと悩んでいた。まとまらない。

それで先日、創作スカイプに久しぶりに参加した。そこでこの話題にもなったのだが、なんだかもうみなさん意見がしっかりしていて、それを聞いた身としては「これ蛇足では?」という気持ちになるのだが…

それを聞いたうえで個人的に思ったことをまとめてみた。





まず大前提として、「魔法」というのは現実・現代において普及しておらず、一種の「法」として成立していない、という考えが下敷きにあると感じた。
というのはもちろんそれに変わる「法」が世界には普及しており、それこそが「共通言語」になっているためだ。
それは「Catholic」とか、現代なら「化学」。多少の変遷を見せつつもあらゆる分野のベースになっている、そういうものだ。

 また、魔法サイドでこの「共通言語」の一つ「化学」に最も近いのは錬金術だろう。
しかしそれが現代ではほぼ完全に「悪法」として排斥され、比べて近しいものである化学が発展…と見れば頷ける。「魔法」に勝ち目はない。


 この議論に興ずる際、多種多様な意見を散見するが(それこそ創作の数に等しく)、それだけの多様さを持ちつつ共通するのは魔法が「実在しない法」であるという点。
「実在しない」という「共通言語」を持っているのだ。
これが多様性があるにも関わらずぶれない、また同種のシンパシーのようなものを感じさせるのではないだろうか。



 さて、「魔法」というものについて語る際、たいてい最初に話題にあがるのは二点。
  ▼「魔法」は存在するか?
  ▼「魔法」と「魔術」の違い(そもそも存在するのか?)

これは“「魔法」か「魔術」のどちらかが存在する”という場合が多い。またその中から細かく言えば、“「魔法」は現在では存在しない”“もしくは「魔術」より「魔法」のが希少度が高い”という場合も多い。



 ここまでは創作の考え方の話だ。
 ここからは商業作品(またそれを意識した作品)の中から特徴あるものを上げてみよう。
※とはいえ、私が知っているものは随分と偏りがあるので悪しからず…^^;


商業作品となると、ここは趣が変わってくる。
 まず、存外「魔法」「魔術」に特に意味合いとしての区別は付けられていない…というより、どちらかのみが存在する世界が多い。

これは単に商業作品にとっては致命的な、「わかりやすさ」のためかと思われる。あとおそらく「言いやすさ」。
「魔術」は相当言いづらい。まじゅちゅ。 なので意外と「魔術」という名称を採用する作品は多くない。圧倒的とは言いがたい。創作とは逆だ。
またはゲームなどの影響で「Magic」という言い方をする作品も多い。

逆に明白に区別を付けたうえで共存させているのは、『Fate/Stay Night』などで有名な【Type-MOON】作品だろうか(※型月の作品は基本的に全ての世界観がつながっており、共通の設定が使われている。荒唐無稽な話もだいたいパラレルとされてる)。


 どちら(「魔法」「魔術」)も、名称・また通俗概念として登場させない、という場合もある。
その場合は、魔術様の効果が別の名前がついた別の法則として登場するか、高度に発展した「魔法」もしくは「魔術」が化学にとって変わって普及している(我々が認識している日陰者的な「魔法」「魔術」とは大きな差がある)、主だってこのどちらかである。

 の場合は「魔術」「魔法」の名前が残っているか・別の名称がついているかの差はあるが、最も異質なのは“一般社会に浸透し、普及している”という点だ。そうでなければ化学に取って代わることなどありえない。

例としては、作中明確に魔法の実在が証明され、発展し、化学に取って代わってることが示されている『魔法科高校の劣等生』。またこれは「魔法」の名前が残っている例でもある。

最近では、アニメ『コンクリートレボルティオ』に登場した、ストレンジパワーリスクマネージメントオフィス(以下SPR)という組織。
どう見てもオカルト団体(実は警視庁の嘱託組織というちゃんとした所)なのだが、「高度に発展した魔術は化学と大差ない」と発言し、サイボーグのメンテナンスまで請け負う。

 そして、に関してはまさしく無数と言っていい。
②の例で「魔法」「魔術」という名前が残ってるか否か、という差異はあると言ったが、たとえ名前が残っていても、普及し広く一般に知られていない、とすれば①に分類される。
 ただここまでお付き合いいただき察しているかと思うが、ほとんどの例がライトノベルであり、実際 てきとうに書店で手に取れば①における無数の例の一つを見ることができるだろう。①に関してはそれほど大雑把で、ありふれた例なのだ。



 さて
番外編としてシメとして、もう一つだけ紹介したい作品がある。 
これは商業作品ではないのだが、作者は現在プロになっているし、考え方が面白いので紹介したい。
 サークル【夢のチョモラン王国】、チョモランさんによる同人誌『魔法使いは火を吹かぬ』だ(現在作者は同人活動を控えているので入手できるかは不明)。

ポイントは ここまで意図的に見ないようにしてきた点、「なぜ魔法・魔術を使うのか?」である。
…その点は、完全なネタバレなのだが、問題なく読める作品なので…言ってしまうと、「マッチを使ったほうが早いから」である。

これは今までの議題とはそもそも方向性を異にいているが、実に真理を突いていると思う。
 結局のところ「魔法」「魔術」をもってなにをしたいか、なにができるのか、逆になにができないのか?そもそも普通にやったほうが早くね?となった場合それは発展しないのだ。
これが現実世界で起きていること。

この感覚は、実は『ハリーポッター』を読んでいて、私はけっこう感じたことがある^^;
歩いていけばよくね?懐中電灯持っていけばよくね?と(笑


 作中世界で“「魔法」や「魔術」が世界をゆるがすのは何故か?”という疑問も創作界隈ではよく見受けられるように思うが、その答えは先の答えをふまえれば明白で
世界をゆるがすことなんて「魔法」やら「魔術」やらを使わないと出来ないからだ。


 作中での「魔法」の登場を避ける場合というのは、曖昧で・夢見がちで・設定が面倒なもの、という理由が多いが
話作りに行き詰まった時などはまさしく「魔法」は強烈な起爆剤として使用できるだろう。
「魔法」はそんな使い方もできる。


  
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No title

なかなか面白そうだったので寝る時間を削って走り読みしてしまいました(笑)

こういうキーワードって、創作するには結構興味深いですよね。
個人的には魔導は本を持っていたり、硬派なイメージが強いです。何かを使用しないと使えない、と言うような。
しかしそんな事を言えば魔法でも書物を使ったり杖を使ったりするから結局魔導なんじゃ……と行ったりきたりするんですよね。

まあ、なんにせよどちらも理解不能な原理や現象で起きてる事なんで、魔法を使う世界の人から見たら、こちらの化学も魔法と同じ意味合いを持つのかも知れません。
自分はそんな事を念頭に創作してます。
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